作品感想

 ここに挙げた作品はすべて青空文庫で入手可能です。

 …王朝もの、…キリシタンもの、…江戸もの、…保吉もの、…随筆

 明治45年/大正元年  大川の水

 大正4年  松江印象記

 大正5年  手巾  MENSURA ZOILI

 大正6年  羅生門の後に  西郷隆盛

 大正7年  地獄変  袈裟と盛遠  枯野抄  あの頃の自分の事

 タイトルの英訳は実際の英訳版から取ってきたものもありますが、私が適当に付けたものも混ざっていますので、ご了承ください。

 大川の水  Water of the Sumida River
 「銀灰色の靄と青い油のような川の水と、吐息のような、おぼつかない汽笛の音」 「動くともなく動き、流るるともなく流れる大川の水の色」 「著しく暖潮の深藍色(しんらんしょく)を交えながら、…古風な汽船をものうげにゆすぶっている」 「自然の呼吸と人間の呼吸とが落ち合って、いつの間にか融合した都会の水の色の暖かさ」 …などなど、宝石のような表現のオンパレード。美しすぎる。これを一読しただけで、隅田川は世界一美しい川のように思えてきます。何度でもしつこく言いますが、芥川は天才です。こんな美しい日本語の文章を書ける人は彼以外にいないと思います。

 「自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛する」。いいなあ。こんなに故郷を愛せるなんてうらやましい。私、ここまで富山を愛してません(苦笑)。

 初出は 「心の花」1914(大正3)年4月。(2005年6月27日)

 松江印象記  The Travel Sketch of Matsue
 「天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物である」

  えっ!!そうなんですか!?

 100%日本の築城術だと思ってました。現世的な知識も教えてくれるんですね、芥川作品は。「自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほとんど何人もこれに対してエキゾティックな興味を感じえないまでに、その屋根と壁とをことごとく日本化し去ったのである」という芥川の指摘は、まさにその通り。
 「蘆(あし)と藺(い)との茂る濠(ほり)を見おろして、かすかな夕日の光にぬらされながら、かいつぶり鳴く水に寂しい白壁の影を落している、あの天主閣の高い屋根がわら」という表現も実に美しく、千鳥城の姿が目に浮かぶようです。松江に行ってみたくなりました。

 初出は 「松陽新報」1915(大正4)年8月。  (2005年6月26日)

 手巾  Handkerchief
 息子の死を一見平然と話す女性が、机の下で手巾(ハンケチ)をちぎれんばかりに握り締めていた…
 現代ではこんなことできる女性はいないでしょう。失われた、古き良き日本女性の美意識という気がします。例えば韓国人なんかだと、肉親が死んだときにカメラの前だろうが公衆の面前だろうがお構いなしに号泣しますが、私はああいうのはあまりいいと思わない。感情を丸出しにして取り乱すところを人前にさらす、というのは立ち居振る舞いとしては美しくないんです。(韓国の人をバカにしているわけではないので誤解のないように。韓国には韓国なりの美意識があるんでしょうし、それまでも否定する気はありません。)かつて日本の武家の女性は自害の作法として、両足を紐で縛ることを母親から教わったといいますが、それも懐剣で喉を突いたときの苦痛から裾を乱し、見苦しい姿をさらすことのないようにです。
 そこにはたらいている価値基準は「見苦しいか否か」「みっともないか否か」というもの。私は勝手に「“みっともない”の美意識」と呼んでいますが、「誰にも迷惑かけてないじゃん」の一言を盾に電車内で化粧をする女性のそれとは対極にある行動基準です。
 悲しければ泣けばいいし、腹が立てば怒ればいいじゃないかという人はもちろんそれでいいのですが、わたしはこの「手巾」の女性に憧れます。わが子を失ったという事実を「ゆたかな微笑をたたへ」ながら話す光景はとても美しいと思いますし、神聖さすら感じます。(2005年5月16日)

 MENSURA ZOILI (メンスラ・ゾイリ)
 1916[大正5]年の作品。芸術作品の価値を測る測定器「メンスラ・ゾイリ」。測定器というよりは単なる毒舌マシンのようにも見受けられます。これにかかれば仲間内の褒めあいや自賛など何の意味もない、と誇らしげに紹介されるメンスラ・ゾイリですが、肝心のゾイリアの芸術品は測定しないのですから、身内に対しては無批判なのです。もちろん、それでは真の批評とはいえませんが、なべて批評家というのはそういう矛盾を抱えた、卑怯な人々なのではなかろうか…という芥川の主張が見え隠れ。

 批評というのは厄介なもので、ある創作物を批評すると、その作者より自分のほうが優れているような気がしてくるのです。それが本当なら、自分では何も創作せずに他人の創作物を批評だけしている者が一番偉いということになりますが、もちろんそんなことはないはずです。自分で何かを一から創り出していない者の批評など傾聴に値しないのではないでしょうか。

 「煮え切らない緑青色(ろくしょういろ)」という海の色の描写、好きです。今さら何を、という感じですが、やっぱりこの人は表現がうまいですよ。こういう上手さが、新技巧派と呼ばれる所以なのでしょうか。(本人は「羅生門の後に」の中で、技巧派に分類されることに首肯できない様子を見せていますが)

 「ゾイリア」って何から取ったのだろう、と英語の字引を繰ってみましたが載っておらず、じゃあというので伊和辞典に当たってみると、ありましたありました。「zoilo (男性名詞) 酷評家」。どうしてまた芥川はこんなマイナーな単語を知っているのでしょうか。zoilo をイタリア語ではなくラテン語の単語として知っていたのかもしれませんが、いずれにせよウォーキング・ディクショナリーと呼んで差し支えないでしょう。mensura はそのまんま「秤」で、英語でも mensuration (測量)、mensurable (測定可能な)という語があります。

 その後、調べてみたところ、ゾイリアはホメロスを酷評したゾイラス Zoilus という批評家の名に由来するのだそうです。ネットって便利。(2005年6月12日)

 羅生門の後に  After Rashomon
 短編集「羅生門」(大正6年[1917年]5月発行)に寄せた文章。

 「自分は近来ますます自分らしい道を、自分らしく歩くことによってのみ、多少なりとも成長し得ることを感じている」

 おお!前向きだ!25才の芥川は前向きだ!これが10年後には「僕なりに死ぬ外はない」などと言い出すんです。何があったんですか芥川さん! (2005年5月18日)

 西郷隆盛  Saigo Takamori
 そそそそーーいうオチか!!!

 やー、びっくりした。本間さんと一緒にドキドキしてしまった。西郷が生きてるんじゃないかとドキドキしてしまった。こういうどんでん返しはモーパッサンの短編を思わせますね。(2005年6月27日)

 地獄変  Hell Screen
 思うに本作の主題は、「聖と俗の対立」です。「聖」は崇高なる芸術です。堀川の大殿様(以下「堀川」)は家臣にも庶民にも慕われる人格者として登場しますが、いつのまにか悪役のような役回りになってしまっています。これは良秀という芸術至上主義者にとっては、堀川はいくら大人物とあがめられていようが、俗な衆人のひとりに過ぎないからです。本作において堀川は、俗世間を象徴して良秀に対峙する存在です。

 「地獄変」の制作を命じるのも、難しい注文をして高慢な良秀を困らせてみたいという実に俗な動機です。それに対して良秀は、「見たものでないと描けない」と言い出します。その要望に堀川はどう応じたか?良秀の最愛の娘を犠牲にすることを思いつくのです。俗世間に関心のない良秀が唯一気に掛け、可愛がっているのが娘です。娘は、芸術性の追及のみに生きる良秀と現実世界とをつなぐ唯一の存在といっていいでしょう。その娘と芸術とを、すなわち現世と芸術とを、堀川は秤に掛けて良秀に突きつけるのです。芸術の追及に没頭するあまり衆人を軽蔑する良秀を苦々しく思っていた堀川から良秀への、「貴様の芸術至上主義がどれほどのものか見せてみろ」という挑戦状なのです。

 その対立はどのような結末を迎えたか。良秀は娘を殺した堀川をとがめることもなく、娘が焼き殺される様を食い入るように見つめ、その顔には恍惚すら浮かんでいるのです!これで作品を完成させられる、素晴らしい作品ができるという、芸術に生きる者の歓喜です。そして良秀は約束どおり「地獄変」を完成させるのです。

 そこまでは確かに、芸術至上主義が良秀にとって何者にも勝っていました。しかしその直後、良秀は自ら命を絶ってしまいます。それは娘を失った悲しみゆえか、かけがえのない娘の命よりも作品の完成を優先させた自責の念ゆえかは定かではありません。しかしいずれにしても、良秀が徹頭徹尾芸術至上主義者であったなら自殺する理由は全くなかったのです。娘を失ったことで作品を完成させたにもかかわらず、娘を失った悲しみもしくは自責から命を絶つのは一見矛盾ですが、この矛盾は彼の芸術至上主義の不完全性を表しているのです。

 一方の堀川は、完成した「地獄変」を前に「出かし居った」と膝を打ちます。芸術至上主義なるものを苦々しく思っていた堀川も、その芸術至上主義者の渾身の作品には、そして芸術を追及する精神の崇高さには敬服しない訳にはいかなかったのです。

 芸術至上主義だけで生きていける人間はいないし、俗な精神だけで生きていける者もいません。そんなことを芥川は、しばしば芸術至上主義者と評される芥川は、伝えたかったのではないでしょうか。(2005年6月26日)

 袈裟と盛遠  Kesa and Morito
 人妻を奪った男と、男に身を任せた女。男はなぜ女を殺したのか。女はなぜ男に殺されたのか。平安時代末期を舞台にした、袈裟御前と遠藤盛遠の物語です。

 2人はそれぞれ、独白しながらざわざわと揺れる自身の心の淵をのぞき込みます。そこにあるのは虚栄心、征服欲、責任転嫁、自己嫌悪…。人間の心の暗部を芥川の筆はえぐり出していきます。そして男は愛のもとに殺人を正当化し、女もまた愛のもとに死を正当化するのです。自己の内面と対峙することで、2人は真実にたどり着いたのか?異性への愛は、実は単なる自己愛に過ぎないのではないか?そう問い掛けられているような気がしてきます。(2009年10月9日)

 枯野抄  Gleanings from a Withered Field
 松尾芭蕉の臨終に立ち会った弟子たちの心中はこんな風だったかもしれない…という、芥川十八番の心理分析。

 冷酷なまでに精確な、容赦ない心理分析は芥川の真骨頂!これは分析というよりももはや「解剖」と言ったほうがいいかもしれません。

 「水を」と木節が言った瞬間にその場を走った緊張感と弛緩、そのことに木節と其角が同時に気づいてひやりとする、という一瞬の心の動きや、師匠の介抱に専念する去来が一方で、そんな自分に満足しているという描写にはもう「参りました!」という外ありません。芭蕉の死の床に漂う、交錯する様々な思いがつくり上げた緊張感が鮮やかに伝わってきます。芥川の小説には緊張感のあるものが多いように思いますが、その中でも本作の緊張感は秀逸。

 「水に浮く葱の屑も、気のせゐか青い色が冷たくない」 「橋の擬宝珠に置く町の埃も、動かさない位、ひつそりと守つてゐる…」 「枕頭の香のかすかな匂を、擾す程の声も立てない」という表現もすごく上手いと思います。大好きな作品の一つ。

 初出は 「新小説」1918(大正7)年10月。(2005年6月26日)

 あの頃の自分の事  My Campus Life
 自身の学生時代の思い出をつづったもの。大正7年[1918年]12月に書かれています。
 「僕なんぞは無責任に、図書館の本を読まう位な了見で、大学にはいつてゐる」って何その余裕の発言!入りたくても入れない人が掃いて捨てるほどゐるは御存知ないか。ほんとにねー、困りますよね、天才は。
 ろくに授業に出なかったり、教室で煙草を吸ったりと、東大生の芥川は結構不真面目。学校の勉強には興味がないものの創作には精を出していたようで、友人と「新思潮」発刊の打ち合わせをしたり文学の議論をしたりしています。
 「マクベス」の講義をするロオレンス先生への評価は「その退屈さは人間以上だつた」。この表現、かっこいい!使いたい!芥川の人間分析の鋭敏さと、それを一分の隙もなく正確に表現する言語力には恐れ入ります。自分の事を「生来言語学的な頭脳に乏しい人間」と評していますが、貴方が言語学的な頭脳に乏しかったら他の人は一体どうなるのかと。謙遜やさんですねえ…。恐ろしく頭いいくせに。(2005年5月26日)


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