作品感想

 ここに挙げた作品はすべて青空文庫で入手可能です。

 …王朝もの、…キリシタンもの、…江戸もの、…保吉もの、…随筆

 大正10年  神神の微笑  LOS CAPRICHOS  俊寛

 大正12年  猿蟹合戦  保吉の手帳から  お時儀  あばばばば  不思議な島

 大正13年  文放古  十円札

 大正15年/昭和元年  僕は

 昭和2年 闇中問答  歯車  しるこ

 執筆時不明 文部省の仮名遣改定案について  恋愛と夫婦愛とを混同しては不可ぬ  

 タイトルの英訳は実際の英訳版から取ってきたものもありますが、私が適当に付けたものも混ざっていますので、ご了承ください。

 神神の微笑  Deities' Smiles
 イタリア人宣教師オルガンティノ(Organtino Gnecchi、1530?〜1609。1570年来日)を主人公とした、キリシタン物の一つ。1921[大正10]年の作品。
 「この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んで居」る、そのために布教が妨げられていると嘆くオルガンティノ。その眼前に、日本の古い神々が現れ、キリスト教を日本に根付かせることは出来ないと告げます。
 八百万の神の力の強さ、というのには同感。日本人は無宗教だとよく言われますが、本当に無宗教という人はいないと私は思います。では仏教を信じているのかというと、それは違います(少なくとも私は信じていません)。仏教はとっくに世俗化して宗教ではなくなっていますから、日本人の精神の基盤にあるのは仏教ではなく、八百万の神を奉じる神道です。「自分は神道を信じている」と自覚している人は少ないでしょうが、山や木や石、土、川の流れといった自然のあらゆるものに「神」を見出す自然崇拝は、現代でも日本人の精神の深い根の部分にあるという気が私はしているのですが、いかがでしょうか。(2005年6月13日)

 LOS CAPRICHOS (ロス・カプリチョス)
 1921[大正10]年の作品。
 関連があるとは思えない短文を集めたもので、何を言いたいのか分からない文章も多いのですが、ラストの自嘲的なシナリオ「幽霊」は面白いです。第三の幽霊が誰なのかは不明ですが、第一の幽霊は芥川、第二の幽霊は久米か菊池あたりではないかと。死後50年も経てば自分の小説などは見向きもされない一方で、自分の作品を悪し様に批判した批評家が名を残しているのでは…と芥川は予想していたのかもしれませんが、心配無用ですよ芥川さん!死後80年が経とうとしているけど、相変わらずたくさん読者がいますよ!私とか!
 タイトルはおそらくスペイン語。私はスペイン語は全く分かりませんが、イタリア語の capriccio 、英語の caprice (意味はいずれも「気まぐれ」)に相当する語だろうと思います。(ちなみにイタリア料理屋の「カプリチョーザ Capricciosa 」は「気まぐれな」という意味です。参考までに。)(2005年6月12日)

 俊寛 Shunkan
 1921[大正10]年12月の作品。
 平家転覆を企てた罪で平康頼、藤原成経とともに鬼界ヶ島に流され、康頼と成経が赦免になった後も許されず、ひとり島に残された俊寛をかつての従者、有王が訪ねます。
 「平家物語」巻三「足摺」で書かれたように俊寛は悲嘆に暮れているかと思いきや、庵を結んで悠々と暮らしていました。「歎きをするよりは、笑う事を学べと云ってくれい」という娘への言葉が印象的です。(2009年10月10日)

 猿蟹合戦
 私やっぱり、芥川が大好きだ。あんなインテレクチュアルな風貌の癖して、こんな滑稽な文章を書くんですから。といっても、こういうおどけたものばかり書いていたって大して魅力は感じないわけで、ひたすらに芸術性を追求した緊張感のある作品が多いからこそ、こういったブラックジョークも光って見えるのでしょう。
 ただ、この作品には何か真剣な意図があったのかなと考えるのもそれはそれで面白い。現代の法治社会では仇討ちは犯罪以外の何者でもないのに、仇討ちの話である「猿蟹合戦」がさも美談のように語られている矛盾だとか。法律家や学者、報道機関といった「社会の上層にいる者たち」が、民衆の好むお伽話の主人公を容赦なく抹殺してしまうという筋を考えると、エリートと非エリートとの乖離を露わにしようとしていたのかもしれません。

 初出は「婦人公論」1923(大正12)年3月 (2005年6月9日)

 保吉の手帳から  From Yasukichi's Notebook
 「確か土岐哀果氏の歌に、――間違つたならば御免なさい。――『遠く来て…」 ってああもう可愛いな芥川!! 「あの頃の自分の事」(大正7年)にも「リストの der heilige Antonius schreitend auf den Wellen (だと思ふ。ちがつたら御免なさい。)を弾いたときも…」という一節があるのですが、あの富士山よりもプライドの高いインテリ男が素直に「御免なさい」などと言う所を想像するとあまりの可愛さに鼻血が出そうです(落ち着け)。

 なかなか俸給を渡してくれない主計官に「わんと云ひませうか?」と言う保吉。むしろその場でいきなり「わん」って言う芥川を見てみたいですけどね!絶対可愛い!!

 「午休み」は彼の空想の闊達さがなんとも微笑ましいし(特に伸び縮みする幾何の図)、「恥」は教室でしどろもどろになっている保吉が目に浮かんで楽しい。要するに芥川は可愛いということですよ、うん!

 「元來ヘ師と云ふものは學科以外の何ものかをヘへたがるものである。道徳、趣味、人生觀、――何と名づけても差支へない。とにかくヘ科書やK板よりもヘ師自身の心臓に近い何ものかをヘへたがるものである。しかし生憎生徒と云ふものは學科以外の何ものをもヘはりたがらないものである。いや、ヘはりたがらないのではない。絶對にヘはることを嫌惡するものである。」 …これ、当たってると思います。

 ちなみに cat's paw は「そよ風」のほかにも、船舶用語で「ネコ足結び」というロープの結び方を意味することもあります。はっ!ロープ…ロープアクション…パウリー!? …いかん、話がワンピにそれそうになりました。芥川作品とワンピの接点は意外と多いものですから、つい。

 初出は「改造」1923(大正12)年5月。(2005年6月27日)

 お時儀  The Bow
 堀川保吉シリーズの一つ。1923[大正12]年9月に書かれています。30になったばかりの保吉の回想という形式で英語教師時代のエピソードが(実話か創作か定かではありませんが)語られる点で、他の「保吉シリーズ」とはやや異なります。
 「顔はよく見るが言葉を交わしたことはない他人」というのは誰しも思い当たると思うのですが、脚のすらりとした「お嬢さん」もそういう他人の1人です。保吉は彼女に対し「朝、駅でよく見かける人」以上の認識は持っていなかったのですが、あるとき思いがけない時刻に彼女を見かけて反射的にお時儀をしてしまいます。このシーンの緊迫感がすごくいい。保吉の、急激に起こった動揺が鮮やかに伝わってきて、心臓の音や火照った耳の熱さまで感じられるようです。「日の光りを透かした雲のような、あるいは猫柳の花のような」という「お嬢さん」の形容には神聖さすら感じられます。詩人だね芥川!「男性の創る芸術的作品――文学でも美術でも――の中には、夥しく女性に対するアドレイションが表現されている」(※)と言ったのは宮本百合子ですが、本作における「お嬢さん」の描写から芥川の女性への adoration を感じるのは的外れではないでしょう。
 お時儀をした自分の愚に怒る保吉。そこから読み取れるのは彼のプライドの高さです。無意識のうちに自分でも信じられない行動に出てしまう、というのは彼にとってあってはならないことなのでしょう。ところが、反射的にした「お時儀」はそのプライドがほんの一瞬機能を止めた、いわば武装解除の間の出来事。保吉の理性の制御下にない行為です。そのために翌日も「お嬢さん」のことばかり考えて落ち着かず、プラットフォームで「捜すように捜さないように」あたりを見回してしまう保吉がなんとも微笑ましい。
 きらきら光るダイヤモンドのような作品。(2005年6月13日)

 ※ 「不同調」1925[大正14]年7月号掲載「わからないこと」より。

 あばばばば
 なにやら妙なタイトルに惹かれて読んでみた作品。タイトルって大事ですね。
 保吉が時折訪れる雑貨屋の主人の細君は「やつと十九位」の女。「羞かしさう」に返事をし、「羞かしさう」に笑い、時には「赤い顔をする」その姿は「妙にうひうひし」くて「全然お上さんらしい面影は見え」ず、「正真正銘に娘じみている」。そんな彼女に保吉は「或好意」を感じ始める。ところがある日彼女は店から姿を消し、数ヶ月の後ふたたび店先に座っていた。その腕には赤ん坊。以前は保吉の姿を見るだけで顔を赤らめた彼女だったのに、今では周囲の目など気にせず「あばばばば、ばあ!」と子供をあやしている。それを見て保吉は、「もう『あの女』ではない」と感じる。
 「女は弱し、されど母は強し」という言葉がありますが、子供を持つと女は変わります。初々しい娘から、命に代えても子を守ろうとするたくましい母へ。母になれば、娘時代の初々しさは失われる。もちろん、母になることは素晴らしいことです。少なくとも、世間ではそのように了解されています。しかし母になったゆえに娘らしさが失われたことに、周囲は心のどこかで落胆するということもまた事実のように思います。
 「娘じみた細君の代りに、図々しい母を見出した」という表現は世の母親たちが聞いたら怒ってしまうかもしれませんが、「図々しさ」は母親というものが不可避的に持つ性質の一つとして確実にあると思います。子供以外のものが目に入らず、子供のためならどんな犠牲も厭わないという母の姿は母性の発露そのものですが、それは「なりふり構わない」ということであり、芥川に言わせれば「図々しい」のです。つまり「図々しさ」は母性の裏返しです。「子供が生まれることは素晴らしいことだ」と世間では考えられているので「子を持つと女は図々しくなる」などとおおっぴらに言われることはありませんが、それを示して見せたのがこの作品だといえるでしょう。
 保吉を見てもちっとも恥ずかしがらない彼女を見て保吉は「にやにや笑い出し」ますが、なぜでしょうか。いろいろ考えられますが、かつてひとときでも彼女の初々しさに神聖さを感じた自分への嘲笑、あるいは彼女もまた世間一般の女と同じ、子を産んで豹変するメスだったのだという、彼女に対する軽蔑を含んだ笑みか。
 大正12年11月に書かれた作品。(2005年5月26日)

 不思議な島  Misterious Island
 「『オオ、サンクス。』
 僕は思わず英吉利語を使った。」

 芥川が英語しゃべってる!!

 もちろん彼は英文科卒で英語教師も勤めたくらいですから驚くには当たりません。が、小説の地の文では英語・フランス語・ドイツ語、果てはラテン語まで登場させるものの、芥川自身が実際に英語を話している描写は意外にも少ないのです。というか、私は本作のこの場面しか知りません。
 本作に関しては、芥川が英語を喋ったというだけでお腹いっぱいです。あと語ることは…なし。

 初出は 「随筆」1924(大正13)年1月。(2005年6月27日)

 文放古 (ふみほご)  Unposted Letter
 1923[大正13]年4月の作品。芥川が実際にこのような手紙を若い女性から受け取ったことがあるのか、「六の宮の姫君」の批判にヒントを得て書いたのかは分かりませんが、鋭い結婚論だと思います。
 どんなに自由に生きようとしている進歩的な女性でも、やがてはみんな結婚して、「いつの間にか世間並みの細君に変わる」のだと芥川は述べます。文化・教養を身につけることに余念がない手紙の主(独身女性)は、今の「負け犬」 ―高尚な趣味に精を出す独身女性― と同じです。現代の「負け犬」はパートナーに教養の高い男を求め、教養のない専業主婦を軽蔑し、自分も結婚すればああなるのかと恐れていますが、「文放古」の手紙の主もおそらくそうなのでしょう。しかし現実には、高い「自己実現」願望を抱いた女達もどこかで妥協してそこそこの男と結婚し、高尚な趣味にふけっていた昔も忘れて、普通の奥さんになっていく。これこそ現代の「負け犬」が心から恐れていることだと思います。80年以上前に書かれた文章ですが、現代でも通用する結婚論といえます。
 「豚のように子供を産みつづけ――」という表現はショックでした。この半年ほど前に書かれている「あばばばば」でも感じたことなんですが、芥川は「出産」というものを何か醜悪な、汚らわしいもののと捉えていたように思われます。
 ですが実際、出産というのは「種の存続」という生物にとって最も基本的かつ原始的な責務を果たすことですから、セックスと並んで最も動物的な行為です。その点で「豚のよう」という形容はあながち的外れではありません。
 さらに考えを進めると、どんな生物も「種の保存」が本能として組み込まれていますが、何のために種を存続させるのか、存続させたところで何か意味があるのかというと、さっぱりわからないのです。ヒトなどという種が存続していくことに何の意味があるのかなんて考え始めたらもう真っ暗闇で、「意味は無いのではないか」という疑念に圧倒されそうになります。そもそも、宇宙のなかの地球という小さな石の固まりの上で、生命という形態でタンパク質が存在することに何の意味があるんだろう?なんて考えようものならもう、お手上げです。神様がそういう風に意図したんだと自分に言い聞かせでもしない限り納得は出来ません。(それにしたって「神様の気まぐれかも」と疑い始めるともはや生命の存在意義など見出せなくなってしまうのですが)
 子供を産む女や、産ませたりする男はそういうことを考えてるのかよ、考えてないだろ、バカだよおまえら、という軽蔑が「豚のよう」という表現にこめられているのではないか…と私は思ったのですが、皆さんはいかがですか?

 「文放古」から哲学的な話に発展しようとは意外でした。それというのも「豚」という表現があまりに衝撃的だったからで、その真意を考えずにはいられなかったのです。(2005年6月12日)

 十円札  Ten-Yen Bill
 物売りを困らせて溜飲を下げている芥川が可愛すぎてどうしよう!(放っておいてやって下さい)

 「一思案を装」う粟野さんの態度が偽善だと見抜く保吉。芥川得意の心理解剖のメスは年長者にも容赦なく入れられます。

 「粟野さんは…保吉の内生命には、――彼の芸術的情熱には畢に路傍の行人である。」という表現からは芥川の芸術家としての誇りの高さがうかがわれます。が、そのような芸術家心理を描写するということはつまり客観的分析の対象にしているのであり、その点で芥川は完全なる芸術至上主義者ではなかったのかもしれません。現に、「その路傍の行人のために自己発展の機会を失うのは」という、芸術のためなら凡人など気に掛ける必要はないという思考を「畜生、この論理は危険である!」とかき消しています。ここまで乱暴な、苛立った表現は珍しいのではないでしょうか。この苛立ちは、借金をするという社会的にあまり褒められたものでない行為を芸術の名の下に正当化しようとした自分への嫌悪のようにも見て取れます。

 保吉はもちろん芸術の追求に生きる人間です。しかしある日彼は、金に困ったがゆえに、芸術の名の下に借金を正当化しようとした。それは芸術の崇高さを汚す行為です。芸術家失格です。そんなことをしたら、結局は保吉も俗人のひとりだと、ついさっき「路傍の行人」と見下した粟野さんと同じだと認めることになってしまいます。つまり保吉は週末に東京に行かないことで、芸術家としての自分を保ったのです。
 自分にもかつて俗人に成り下がる危機があった、しかもあろう事か芸術を言い訳にして…という、自戒を込めた回顧が本作なのではないかと私は勝手に思っているのですが、いかがでしょうか。

 初出は「改造」1924(大正13)年9月。(2005年6月27日)

 僕は  I am
 1926年[大正15年]12月に書かれた、アフォリズムを連ねたもの。「侏儒の言葉」と共通する内容が多く見られます。「侏儒」の下書きだったのでしょうか。

 「僕は樹木を眺める時、何か我々人間のやうに前後ろのあるやうに思はれてならぬ。」
 うーん、この人の発想は面白いです。この話は翌年に書かれる「歯車」のなかにも出てくるのですが、私はこれを読むまで樹木に前後ろがあるなどとは考えもしませんでした。
 初出は「驢馬」1927(昭和2)年2月。(2005年5月27日)

 闇中問答  Conversation in the Dark
 「僕(芥川)」と、「或声(悪魔らしい)」の問答。彼が服薬自殺した昭和2年の作品で、苦悩のほどが察せられます。やたら厭世的な芥川が痛々しい。「僕は将来に読者を持ってゐる」と言っていながら、「安心しろ、お前の読者は絶えないだらう」と言われれば「それは著作権のなくなった後だ」と冷めた返事。
 これによるとどうやら芥川は不倫をしていたようです。話がそこに及んで、「或声」が「お前は愛の為に苦しんでゐるのだ」と言えば「愛の為に?文学青年じみたお世辞は好い加減にしろ」。芥川にとっては、恋愛はそれほど崇高なものではないらしいですね。なら不倫などしなさそうなものですが、そこがまた人間の性と言うやつです。それゆえ「或声」は「お前のしたことは人間らしさを具えてゐる」と肯定してくれるのですが、「僕」はそれを「最も人間らしいことは同時に又動物らしいことだ」とはねつける。恋愛感情というのはとどのつまりが種の存続のために脳にプログラミングされているものですから、人間に限らずどんな生き物にもあるわけで、その点で芥川は正しい。が、芥川は「人間も数ある動物のひとつ」という事実から目をそむけようとしていた気がします。人間は動物とは違う、理性的であらねばならないという彼の理想と、実際の人間(彼自身を含む)にある動物としての原始的な本能とのギャップに苦しんでいたのではないでしょうか。
 「恋愛と夫婦愛とを混同しては不可ぬ」にもありましたが、基本的に芥川は恋愛のみならず人生そのものを悲観していて、「人生は『選ばれたる少数』を除けば誰にも暗」く、「しかも又『選ばれたる少数』とは阿呆と悪人との異名」だといいます(同じ内容は、前年に書かれた「侏儒の言葉」にも出てきています)。そして「或声」が「お前はお前なりに生きる外はない。或は又お前なりに…」と言いかければ「さうだ。僕なりに死ぬ外はない」。ここで初めて「或声」と意見が一致する芥川。「或声」の言葉をさえぎって話すのも本作中ここだけです。このあたりで彼は死を決意したようにも見えますが、ラストでは「これからお前はやり直すのだ」と自らを叱咤しているところを見ると、苦しみつつも生きようとしているとも取れますし、どの時点で自殺を決意したのかは本作からは明らかではありません。過去に何度も自殺を図ったことは打ち明けていますが。
 それにしても「誰でも僕くらいは下等だらう」だの、「お前は…あの気違いじみた天才の夏目先生を知らないだらう」だの、言うことがいちいち格好いいんですけど!「或声」と「僕」の差をはっきり出して朗読すると楽しいのでお試しあれ。(2005年5月18日)

 歯車  Cogwheels
 遺稿となった作品。義兄宅の火事や義兄の自殺、「河童」を執筆するくだりがあることから、1927[昭和2]年の1月から2月くらいにかけて書かれたものと推測されます。とにかく痛々しいので有名です。
 実際、本作の傷ましさ・哀しさは背筋に冷たいものを走らせます。何かに付きまとわれている不安、焦燥。右目の裏で回る半透明の歯車、発狂の恐怖、レエン・コオト、エエア・シツプ、ブラツク・アンド・ホワイトの符合。それらの符合は単なる偶然で「僕」の考えすぎと言ってしまえばそれまでですが、それでも「僕」を恐怖させ追い詰めるには十分でした。
 何とかしてあげようにも手の差し伸べようがなく、全体どうしたら彼が救われたのか分かりません。
 「歯車」「或阿呆の一生」など自殺直前の作品からは、人の「生」を支えている基盤のようなもの ― 思想や主義など難しいことは抜きにして、兎も角も生きようとする原始的なエネルギー ― が消えてしまっている、という印象を受けます。いわば生きながらに死んでいるようで、読んでいて薄ら寒くなるのです。
 一方で、芥川はそんな崖っぷちの精神状態すらも文章にしていったわけで、そのこと自体が、彼が何らかの希望の存在を信じていたことの証左のようにも思えます。薄い、細い光を何とか掴もうとして、どうにかすれば救われるのではないかと手を伸ばして、必死に模索していたのではなかろうかと。そうだとすると、模索を重ねはしたが最終的には死を選んだということになりますから、なおさら痛ましく、哀しくなってしまいます。(2005年6月13日)

 しるこ  Shiruko
 芥川龍之介は下戸だそうです。
 一杯で真っ赤になってる芥川龍之介。つぶれて寝ちゃった芥川龍之介。
 拉致っていいですか(やめれ)

 冗談はさておき、お酒が飲めない人は申し合わせたように甘いものに目がありません(酒豪かつ甘党という人もいますが)。「あばばばば」ではココアの粉を買うシーンがありますし、「歯車」でもココアを啜り、「侏儒の言葉」ではチヨコレエトを齧り、岡本かの子の「鶴は病みき」では羊羹、メロン、スイカ。下戸で甘党って可愛いですよね!
 「僕らの東京」っていう言い方も好き。生まれた街を愛してたんだなあ。
 明治製菓株式会社発行の雑誌「スヰート」(昭和2年6月15日発行)に寄せられた文章。末尾に(二、五、七)とあるので昭和2年[1927年]5月7日に書かれたものか。2ヵ月後に自殺するとは思えないほどお気楽な文章です。(2005年5月16日)

 文部省の仮名遣改定案について
 仮名遣改定案というのは「ぢ」は「じ」と、「ゐ」は「い」と書きましょうといった類のものです。これについて芥川はわざと漢文訓読調で批判しています。真面目な論文かと思いきや、なかなかユーモラス。芥川はこれを楽しみつつ書いていたんじゃないかな?と察せられます。
 好きな文章を全部書き抜いていたら長くなるのでしませんが、とにかく笑えるので、読んだことのない人は是非読んでください。これを読んだら絶対芥川が好きになりますから。芥川が可愛くて仕方なくなりますから。
 それにしても、こんな漢文調で自在に文章を書ける日本人が現在どれだけいるんだろう。殆どいないだろうな。(2005年6月4日)

 恋愛と夫婦愛とを混同しては不可ぬ  Don't Confuse Love with Marriage
 お見合い結婚(媒酌結婚)を恋愛結婚よりも推奨する芥川。その理由は「聡明といふことと、青年といふことは、多くの場合一致しない」からだそうです!これほどの名言が未だかつて存在したでしょうか。
 さらに彼は「愛の恒久性や純潔さを疑ふ」ゆえに「ホリデイラヴ、即ち一週間に一度の恋愛を主張する」。いやあ、面白いなーこの人。恋愛感情は長続きしない、というところから「それでも強い愛を育んでいこう」と思う人もいると思うのですが、芥川は逆に「恋愛感情を持続させようなどと思うな!」という結論に持っていきます。
 そして恋愛だろうがお見合いだろうが「結婚生活というものは幻滅であつて」、なべて結婚というものは「決して幸福なものではないと思ふ」。それどころか「結婚のみならず人生は総て幻滅の連続」だそうです。
 芥川さん…何か辛いことでもあったんですか。(2005年5月16日)


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