R o b e s p i e r r i s m e

 【生い立ち】

 マクシミリアン・ロベスピエールは1758年5月6日、フランス北部のアルトワ州アラスで生まれました。彼の家は6代前のロベール・ド・ロベスピエール以降、代々法曹の家柄であり、父のフランソワも弁護士で家はそこそこ裕福だったようです。

 しかし、母のジャクリーヌが亡くなってから状況は一変します。妻を失って落胆したフランソワは仕事にやる気をなくしたのか多額の借金を抱え、ついに子供たちを親類に預けて蒸発してしまったのです。このとき長男マクシミリアンは6歳、長女シャルロットは4歳、次女アンリエットは3歳、次男オーギュスタンに至っては1歳でした。

 1765年からマクシミリアンはアラスのオラトリオ修道会の神学校に4年間在学し、69年に司教座参事会員エイメの世話でサン・ヴァースト修道院の4人の給費生の1人に選ばれ、パリのルイ大王学院(注1)に入学することができました。

 ルイ大王学院に在学していた間、ロベスピエールが受け取っていた奨学金は年間450リーヴル(注2)。服は1着しか持たず、靴には穴が開いていました。そんな状態ですから外出にも事欠き、比較的裕福なほかの生徒と馴染むことができないのは当然と言えば当然だったのでしょう。そんなわけで、はっきりいってかなり孤独な少年時代でした。後に彼は社会的弱者に味方するようになりますが、それは「貧しい」ゆえに味わわねばならない惨めさや寂しさを、彼自身が身をもって知っていたからなのかもしれません。

 さて友人には恵まれなかったロベスピエールですが、その分、彼は全ての時間を勉強に費やします。ギリシャ・ローマ時代の古典に始まり、ルソー、ヴォルテール、モンテスキューといった最新の思想も熱心に学びました。
 その甲斐あってロベスピエールは成績優秀。1774年にはルイ16世が新しく国王の座につき、ランス大聖堂での儀式を終えたあと、パリに帰還しルイ大王学院に立ち寄りました。その際、ロベスピエールは教授の作ったラテン語の詩を新国王の前で朗読する役に選ばれたのです。(詩は当然ルイ16世の即位を祝うものだったのでしょうが、のちにロベスピエールはこの国王を断頭台に送るのに一役買うことになります。歴史の皮肉ですね。)

注1 ルイ大王学院 College de Louis le Grand (コレージュ・ド・ルイ・ル・グラン)
 1651年に設立された私立中等学校。「ルイ大王」という校名はルイ14世の時代につけられた。後に山岳派の中心人物の1人として活躍するカミーユ・デムーランもここの卒業生でロベスピエールの後輩にあたるが、在学中は特に交流はなかった。

注2 リーヴル/スー  livre/sou
 フランスの旧貨幣単位。1リーヴル=20スー。フランス革命時のメートル法発布と同じ時期にフラン(franc)に切り替えられた。


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