| R o b e s p i e r r i s m e | |
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「残酷」?
「残酷」これもロベスピエールによく付けられる形容詞です。たぶん多くの人が「反対派を片っ端から断頭台に送った冷酷残忍な政治家ロベスピエール」というイメージを持っているのでしょう。しかし、実際はどうだったのでしょうか?ここでもやっぱりマルク・ブゥロワゾォ著「ロベスピエール」におまかせ!です。 同書によれば、反革命容疑者に対する告発状は毎日のように公安委員会に寄せられ、40名の書記がそれを1つ1つ要約して公安委員会に送り、公安委員がそれに裁決を下す、ということが連日行われていました。それについて詳しく見てみると… さらに、 …とのことです。 しかも、当たり前のことですが、公安委員が決定できたのは容疑者を裁判所に送るかどうかまでであって、有罪か無罪かを決めることまでは口出しできません。 これらのことを考え合わせると、ロベスピエールの責に帰すことのできる犠牲者数は最大でも192人ということになります。「192人しか死なせていないからロベスピエールは悪くない」などということには決してなりませんが、少なくとも一般に思われているよりはずっと少ないのです。 上にあげたデータはパリ市だけのものですが、フランス全土での処刑者数は(ヴァンデの反乱で掃討された人数も含め)少なくて約25〜6万人、多くて約60万人と言われています。「地方での処刑者に関しても中央の公安委員会に責任があるのでは?」と思いたくなりますが、それは間違い。なぜなら地方で処刑を行っていたのは中央から派遣された国民公会議員(派遣議員)で、彼らにはかなりの自由裁量権があったのです。ロベスピエールが彼らの殺戮を許容していたならともかく、実際はその逆であり、彼はタリアンやバラスなどの派遣議員が「革命の体面を汚した」として彼らを中央に呼び戻しているのです。 とはいえ、「ロベスピエールが残酷な独裁者だったと広く考えられているからには、やはりそれなりの根拠があるのでは!?」と言う人もいるかもしれません。(右の耳から聞こえてきそうです)しかし、このイメージは実はテルミドール派の喧伝そのままなんですね。テルミドール派は自分たちが行ったクーデターを正当化するために、ロベスピエールがいかに「冷酷」な「独裁者」だったかということを四方八方に言いまくったのです。しかも不幸なことに、ロベスピエールと志を同じくする人たちはテルミドールのクーデターでみんなあの世に送られてしまったので、彼の死後ロベスピエールをかばう人が1人もいなかったということも喧伝の広がりに拍車をかけました。つまり、でっち上げられた虚像に過ぎないのです。 |
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