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もうひとつの「宇治川先陣」
「宇治川の事」といえば、梶原景季と佐々木高綱の先陣争い。
まず、先陣争いに勝利して川を渡りきった佐々木が、「佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや」と名乗りを上げる。ここまでは有名です。
続いて畠山重忠が川を渡るんですが、向こう岸で待ち構えている敵に馬を射られてしまい、仕方ないんで泳いで向こう岸にたどり着く。で、岸に上がろうとすると、後ろから同じように泳いできた兵がいて、鎧を掴まれるんです。誰だよ全く、と思って「誰(た)そ」と言うと、「重親」と返ってくる。それが聞き覚えのある名前で、畠山は「大串か」と聞くと、答えは「さん候」。ここでこの兵が大串重親だと分かるんですが、畠山は大串の元服のときに髻を結って烏帽子をかぶせた、いわば第二の父なのです。 その大串が「あまりの流れの速さに、馬が流されてしまいました」というので、重忠は、「手のかかる奴め」と言って大串を掴んで岸に投げ上げる。この畠山の行動は、説明いらないんです。というのも、直前の場面で佐々木と梶原が激しい先陣争いをしていることが描かれているんで、先に敵陣へ乗り込んだほうが名誉だということが読者に示されている。だから畠山は、後ろから来たのがどうでもいい兵だったら無視して岸に上がって敵陣に乗り込んでいくんだけれど、烏帽子子(えぼしご)の重親だったから、彼を先に岸へ上げて、その名誉を譲ってあげるんです。
で、畠山に岸に上げてもらった大串は、もちろん名乗りを上げるわけですけど、
「武蔵の国の住人、大串次郎重親、宇治川の歩立(かちだち)の先陣ぞや」
と言う。すると、敵も味方も大爆笑。佐々木が既に先陣の名乗りを上げているんだから、それ以外の人は誰も「先陣宣言」はできないんですね。なのに重親は「佐々木殿は馬の先陣、俺は歩兵の先陣だ!」と言っちゃったんで、一同「そんな区別、聞いたことねーよ!」ということになってしまったわけです。
別に重親は冗談でこれを言ったわけじゃなくて、若い彼はむしろ「こう言ったらきっとカッコいいぜ!」と真剣に名乗ったと思うんですよ。ちょっと天然ボケでもあって。
笑われた重親がどうしたかは物語本文には書かれてないんですが、真剣に言ったことを笑われちゃってカーッと赤面してるのが目に浮かぶし、畠山も岸に上がりながら「変な奴を烏帽子子に持っちまったなー」と苦笑い、という光景が想像できてすごく微笑ましい。
「広辞苑」によれば畠山は1164年生まれなので、宇治川の合戦(1184年)のときは満20歳。大串はその烏帽子子ですから、おそらく17、8歳、下手したら15、6くらいかも。カッコつけたいお年頃ですよ。いやあ可愛い。
原文は以下。
畠山これを事ともせず、水の底を潜(くぐ)って、向ひの岸にぞ着きにける。うち上らんとするところに、後ろより物こそ、むずと控えたれ。「誰そ」と問えば、「重親」と答ふ。「大串か」。「さん候」。大串の次郎は、畠山が為には烏帽子子にてぞ候ひける。「あまりに水が早うて、馬をば川中より押し流され候ひぬ。力及ばでこれまで着き参って候」と云ひければ、畠山、「いつも、わ殿ばらがやうなる者は、重忠にこそ助けられんずれ」と云ふまま、大串を掴んで、岸の上へぞ投げ上げたる。投げ上げられて、ただ直り、太刀を抜いて額に当て、大音声を揚げて、「武蔵の国の住人、大串次郎重親、宇治川の歩立の先陣ぞや」とぞ名乗ったる。敵も御方も、これを聞いて、一度にどっとぞ笑ひける。 佐々木と梶原の激しい先陣争いはもちろん、武士の名誉をかけた息詰まる戦いで、「これぞ武士道」という一幕です。ところがその直後に、まだ若い大串が何とかしてカッコいい名乗りを上げたくて、「歩立の先陣」なんて大声で言っちゃったもんだから敵にも味方にも大笑いされてしまう、という滑稽な場面が用意されている。先陣争いで手に汗を握らせておいて、その直後に大串次郎の一言でプッと吹き出させる、この切り替えは本当に絶妙。「そんなオチかよ!」みたいな。ほんと平家物語はよくできてるんです。
ところで覚一本を眺めていてびっくりしたんですけど、覚一本の「宇治川先陣」で大串重親が名乗るシーンは、
「武蔵国の住人、大串次郎重親、宇治河の先陣ぞや。」とぞ名乗ったる。敵も御方もこれを聞いて一度にどとぞ笑ひける。 となっていて、歩立の一言がありません。「歩立」と重親が言うからこそ直前の名馬での先陣争いとの対比になって滑稽なのに、これでは両軍がなぜ笑ったのか分からず、面白さが半減です。覚一、なぜ「歩立」を削ったんだ…
ページ上部の写真は宇治川ではなく多摩川です(^^;)
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