バグダッド・カフェ Baghdad Café カフェの女主人(ブレンダ)がジャスミンと友達になってからの表情がよかったですね。とてもかわいい。ショーのシーンは楽しかった。小さなカフェの小さな友情。 ただ、この映画がすごく好きだという方は少なからずいらっしゃると思うのですが、そこまでいい映画とは思えないんですよ。「バグダッド・カフェはここが素晴らしいんだ」という意見があれば聞きたいです。お寄せください。(2003年4月17日) <1988年/ドイツ/監督 パーシー・アドロン/主演 マリアンネ・ゼーゲブレヒト>
橋 Die Brucke 第2次大戦末期、ドイツ軍の敗色が濃厚な中、小さな橋を守れと命じられた少年兵たち。彼らをまとめるべき大人の軍人はどこかへ行ってしまい、少年達は初めての実戦でどうすればいいのか分からない。そこへ敵軍がやってくる…泣けます、これ。とりあえず少年達は戦うのですが、一人、また一人と死んでいき、発狂する者さえ出る始末。最後に生き残った2人の少年は、銃も軍服も捨てて「橋」を去ります。そのときの台詞「ハンス、帰ろう。うちへ帰ろう。」これがもう、忘れられませんよ〜。悲しくて痛々しくて。
戦争の悲惨さ、無益さはもちろんですが、それ以上にもっと普遍的なテーマを扱っている気がしてなりません。どんな人にも1度は見てほしい映画。(2002年9月3日) <1959年/ドイツ/監督 ベルンハルト・ビッキ/主演 フォルカー・ボーネット>
八月のクリスマス うーんいいですねー。感動です。泣かされました。ハン・ソッキュは「シュリ」よりこの映画のほうが断然よさが出ているように思います。シム・ウナも可愛くて好感が持てるし、言うことなし。地味で素朴なシーンの一つ一つに心がこもっています。それらの丁寧な積み重ねでラストの「別離」が泣けるのです。この映画に出会えてよかった、と思いました。(2002年1月13日) <1998年/韓国/監督 ホ・ジノ/主演 ハン・ソッキュ>
二十日鼠と人間 Of Mice And Men 知的障害のあるレニー(ジョン・マルコヴィッチ)と友人のジョージ(ゲイリー・シニーズ)は旅仲間。二人はある農場で働き始める。そこで働く男たちはみな孤独。力仕事が得意なレニーは農場でうまくやってゆけるはずだったが…。
原作は「怒りの葡萄」「エデンの東」などで知られるノーベル賞作家、スタインベックの同名の小説。最初に出版されたのは1937年のことです。
マルコヴィッチの演技が素晴らしいです。レニーの純真さが痛いほど伝わってきました。仔犬にキスしたり、ネズミを取り上げられて泣きじゃくるところなんてもう、今すぐ抱きしめに行こうかと思いましたから(笑)。このコーナーでマルコヴィッチについて言及するときは常に彼を絶賛してしまっているんですが、それくらい彼は天才的だということです。どの作品でも強烈な個性を発揮していて、違う作品を見るたびに新しい発見があるんですよ。
ジョージもかなり良いです。レニーについて「あいつはトラブルメーカーだ」とこぼし、レニーさえいなければもっと自由に生きられるのにと思いつつも、常に彼を守ろうとし、レニーを喜ばせるために将来の夢の話をしてやる。それはもちろんジョージの優しさゆえではあるのですが、何と言ってもレニーがジョージの唯一の友人だからなんですね。農場の男たちは身寄りも家もない者ばかりという中で、ジョージだけは、レニーがいる。レニーだけは、ジョージがいる。そんなジョージが最後に選ばねばならなかった道は、あまりにも残酷なものでした。
ところで、マルコヴィッチの頭が…頭が…「おでこと後頭部が同時進行でハゲていく」という非常に気の毒なパターンになっているようなんですが、あれは地毛なんでしょうか。今はもうスキンヘッドにしちゃっているみたいなので関係ないんですが。(2003年12月23日) <1992年/アメリカ/監督 ゲイリー・シニーズ/主演 ジョン・マルコヴィッチ>
初恋のきた道 チャン・ツィイー演じる少女の純粋さ、ひたむきさがよく伝わってきました。ああいう農村の風景、いいですね。飾り気がなくて、毎日を真面目に生きる純朴な人々。
冒頭のシーン、ディの家の中に映画「タイタニック」のポスターが貼ってあるのはチャン・イーモウ監督のお遊びでしょう。どういうことかというと、「初恋の来た道」は過去の回想をメインに据えて、それを現在の描写でサンドイッチし、いちばん最後にもう1度過去の描写を持ってくる構成です。この構成はタイタニックと全く同じなんですね。しかも年老いたヒロインが「現在」に登場し、相手の男性は既に亡くなっているという点も共通しています。
ルオが40年前にした初めての授業をヒロインの息子が再現するシーンは最高。初授業の朗読の声にディが聞き入って以来、空耳で授業の声を聞いたり、結婚してからも毎日声を聞きに行ったりというのはみんなこのシーンのためだったのかとまで思わせられます。年老いたディの演技が良いのですよ。正直、そのシーンの前までは頑固な老婆という感が否めなかったのですが、朗読の声を聞いて学校へと駆ける表情は娘時代のそれなのです。そこから過去に時間を戻す見せ方も無理がなく、幸せなディの姿を見せたままきれいに締めくくってくれました。
ただ、ルオが町に帰ったのが文化大革命の所為というのが作中ではほとんど説明されないので、知っていないと分かりにくいかもしれません。(2002年3月5日) <2000年/中国、アメリカ/監督 チャン・イーモウ/主演 チャン・ツィイー>
バーティカル・リミット VERTICAL LIMIT
「リポ○タンD」のCMの2時間拡大・冬山版です。崖から落ちそうになるシーンなんて、心の中で思わず「ファイトぉ〜いっぱ〜つ!!」って叫んでしまってましたから(苦笑)。 冗談はさておき、「極限状態に置かれた人間は手段を選ばない」ということを感じさせられた1本。 結局、助けた人数よりも死んだ人数のほうが多かったんですよね。そもそもの登山目的がadvertisementというかcommerceだったこともあって、ラストの感動できるはずのシーンが、素直に感動していいのかどうか良く分からないまま終わってしまいました。しかし、そもそもこの映画の売りは「観ていて寿命が縮みそうになるほどのスリル」のはずです。つまり遭難した隊が救出された時点で映画は実質的に終了しているのであって、「兄妹の絆」とか「親の愛」とかいうメロドラマ的な要素は飾りでしかないのです。したがって、感動できない映画だと非難するのは見当違いというものでしょう。(2003年9月16日) <2000年/アメリカ/監督 マーティン・キャンベル/主演 クリス・オドネル>
バニラ・スカイ Vanilla Sky
筋書きはちょっと分かりにくかったかも…超現実的で。ラブシーンは公私混同でしょ、あれ…。キャメロン、お気の毒。そしてそしてペネロペ・クルス!あんなに美しい人がこの世にいていいのかと思いますね。その美しい眉はなんだぁー!恋がうまくいっている人は綺麗です。(2001年12月29日) <2001年/アメリカ/監督 キャメロン・クロウ/主演 トム・クルーズ>
パールハーバー Pearl Harbor
予想通り、といったところです。仮にもこのような題を冠した映画を作るのなら、真珠湾攻撃という手段を日本が選ぶに至った過程をはっきり描くべきでしょう。当時の世界情勢はどのようであったか。日米両国はどのように交渉を進めたのか。宣戦布告はなぜ遅れたのか。そういうことを示さないと、「パールハーバー」の実像は見えてきません。本作ではそれらを全て省いて、映画が始まった時点で日本軍は当然のように真珠湾攻撃を計画しているという…なんで?という感じです。ラストのルーズベルトの演説内容を超強引に拡大解釈すれば、その演説で真珠湾攻撃の動機が示されていると考えられないこともありませんが無理すぎ。何も知らない人がこの映画を見て誤解したら怖いなあ。アメリカ側が日本に対して石油禁輸策をとったり、「ハル・ノート」を手交したりしたことは全く伏せられている嘘っぱち映画。この映画には史実の描写についての欠陥があまりにも多いので指摘していたらキリがありません。非人道的で野蛮な日本軍の攻撃に対して、愛国心あふれる純粋なアメリカ青年は立派に戦ったのさ!ということを言いたいようですが、真珠湾ってそんな単純でいいんかい?それを言いたいが為に巨額の制作費を投じ、ベン・アフレックを起用して映画を作ったのかと思うと呆れますね。ラブストーリー部分は全く陳腐で、観客を泣かせようという製作側の意図だけが必要以上に伝わってきて不愉快でした。(2002年1月4日)
付け足し。これって9.11後のアメリカ・ナショナリズムの高揚にぴったり便乗した感じですよね。たぶんアメリカ人は9.11と真珠湾を同一視しているのでしょうが、根本的に違うっつーの。真珠湾がテロリズムではないことは明白。そのうえ本作では米軍が日本の軍需工場を爆撃するシーンがいかにもかっこよく描かれていて…おいおい、それってアフガン空爆の正当化じゃないの?クラスター爆弾を使ってる時点で無差別爆撃なのにね。ほとんどペンタゴンのプロパガンダ映画です。こういう目的で映画作品を作ることは、映画という文化に対する侮辱じゃないかと思うのですが?とはいえ、「アメリカは正義の味方」というメッセージは「アルマゲドン」や「インデペンデンス・デイ」にも見られるものなので、本作だけを非難して済む話ではありません。愛国心高揚のネタに使われた日本はいい迷惑です。(2003年2月28日) <2001年/アメリカ/監督 マイケル・ベイ/主演 ベン・アフレック>
半落ち 妻を殺した男。犯行から自首するまでの空白の2日間を徐々に明らかにしながら、生と死という問題を描くミステリー作品です。
若い裁判官の藤林は、もと裁判官で今はアルツハイマー病の父親を持っています。「壊れる」前に、「魂がなくなる」前に死にたいという妻を殺した梶に、藤林は「魂がなくなったら、もう命ではないのですか」と問います。藤林の父は、啓子よりも病状が進行していました。藤林が下した判断は、執行猶予がつくだろうという大方の予想を裏切った懲役4年の実刑判決。
命の絆を確かめようとわざわざ東京まで出向き、少年を静かに暮らさせてやりたいという思いから、「歌舞伎町に行ったのだろう」「新聞に載った少年の投稿を読んだのだろう」と聞かれても肩を震わせて「知りません」を繰り返すところを見ると、梶は命の代え難さを認識しているように見えます。しかし、妻を殺したことについては、「愛していたからこそ、『自分の息子を覚えているうちに死にたい』という望みを叶えてやったのであって後悔はしていないと言っており、その辺りに一貫性が感じられません。もと警察官である梶のこと、命の重さは他人から言われるまでもなく百も承知だったのでしょう。にもかかわらず最愛の人を手にかけたのは、それがその人の望みだったからです。おそらく、「命は大切だ」という絶対的な命題と、妻の望みをかなえること、この2つを梶は天秤にかけたのではないでしょうか。その結果、彼女を殺すことを選んだ。その判断を悔やんではいない、というのが梶の主張だったのだろうと思います。それに対して、自らもアルツハイマーの父を抱え、たとえ「壊れて」も、その人が次第に「その人」でなくなっていっても、命はそう簡単に消していいものではないとする藤林が最後まですれ違っていたという印象でした。
ただ、藤林の言いたいことは分かりますし、正論なのですが、本人が死を望んだということを見落としているのではないでしょうか。梶は「息子を忘れてしまう前に死にたい」「壊れる前に死にたい」と言った妻の言うとおりにしたのであって、梶自身が「妻が壊れる前に死なせたい」と思って犯行に及んだわけではありません。「壊れたら命でなくなるのかどうか、あなたに決められるのか」という藤林に「それは誰にも決められない」と梶。誰にも決められないからこそ、梶は妻の要望に忠実に行動したのです。その梶に実刑4年を科したということは、壊れても命は命だと藤林が決めたことになります。それは藤林と父との関係においては、つまり藤林の個人的な信念としてはそれでいいでしょうが、他人が下した判断まで拘束できるのかという点で疑問が残りました。被害者自身から頼まれて殺したのならば刑は軽くなるべきだというのが刑法202条の立法趣旨でしょうし。
ほかでもない梶が白血病から救った少年からの、「生きてください」という言葉。自分の命もまた、何ものにも代えられないのだという実感。人の生は他の人とのつながりなしには有り得ないとつくづく感じてしまいました。名画です。
補足。作中で「嘱託殺人」と呼ばれていましたが、厳密には同意殺人と呼びます。通常の殺人は最高で死刑ですが(刑法第199条)、同意殺人は最高でも懲役7年です(刑法第202条)。また、弁護士と検事が昔の自己紹介の話をしていたのは、司法修習(司法試験に合格すると、司法修習生として1年間研修する。そのあと弁護士・検事・裁判官に分かれる)で同期だったため。早く「イソ弁」から脱出したい、と弁護士の発言にありましたが、イソ弁とは「居候弁護士」の略で、自分で法律事務所を開く前の、既存の法律事務所に雇われている弁護士のこと。(2004年6月6日) <2003年/日本/監督 佐々部清/主演 寺尾聰>
ボーイズ・ドント・クライ BOYS DON'T CRY ヒラリー・スワンク最高!カッコいい〜♪内容はすごく衝撃的で、感想を言うのが難しいです。ブランドンやラナの純粋な心が痛いほど伝わってきました。どの映画とは言いませんが、製作側の「ほらほら、ここで泣け!」という声が聞こえてきそうな某パールハーバーとは雲泥の差ということは確かでしょう。スワンクは「男」を演じるためにずいぶん訓練したらしく、劇中では全く「男」でした。顔立ちがもともと凛々しいから、男って言われたら分からないですね。スワンクはこの映画でアカデミー主演「女優」賞を取ったんだそうです。苦労の甲斐があったというものでしょう。(2002年1月9日) <2000年/アメリカ/監督 キンバリー・ピアース/主演 ヒラリー・スワンク>
ボウリング・フォー・コロンバイン Bowling For Colonbine 他の先進国に比べ、アメリカにおいて極端に多い銃犯罪。その原因を探り当てるべくムーア監督は自分の足で歩き回り、アメリカやカナダのあちこちで実に様々な人にインタビューを試み、Kマートで銃弾を売るのをやめさせることにも成功します。それでも、この映画はハッピーエンドとは程遠い。銃の問題はちっとも解決していません。しかし、記録映画を1本撮ったくらいですぐに結論が出るような問題なら、この作品が作られる必要はありませんでした。この作品の意義はむしろ、銃犯罪の根っこの部分にある、アメリカ社会の「腫瘍」を示してみせたことそのものにあります。
「この国ではなぜ、こんなにも悲惨な事件が起きるんだ?なぜ誰もが平和に暮らせないんだ?」監督はそんな「なぜ」から出発して、アメリカ社会が抱える問題を探っていきます。この作品はアメリカ社会のいびつな構造とその中で生きる人々のあり方ををそのまま記録したものであると同時に、故郷を愛する1人のヒューマニストの模索過程を記録した映画であると言えるでしょう。
BGMをほとんど使っていないぶん、数少ない挿入曲の効果は大きかったと思います。戦争犠牲者の映像に”What a Wonderful World”、ヒトラーや旧日本軍の映像に第九と、絶妙な曲選び。特に前者は泣けます。第九は有名な「フロイデ〜」の部分ではなく男声合唱の部分を使ったというのがまたツウな、心憎い選曲やねぇ…と、作品の内容と関係のないところで感心してしまいました。そのほか、ムーア監督らしいブラックユーモアも秀逸。(2003年11月23日) <2002年/アメリカ・カナダ/監督 マイケル・ムーア>
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