シカゴ CHICAGO 売れないダンサーのロキシーは、口論がもとで愛人を殺害。絞首刑だけは避けたいと、シカゴいちの敏腕弁護士・ビリーを雇う。ビリーの戦略が功を奏し、ロキシーはマスコミを味方につけて一躍「時の人」に。それまで「妹殺し」でマスコミの注目の的だったトップダンサーのヴァルマはアイドルの座から転落、プライドを傷つけられて我慢ならない。しかし次から次へとスキャンダルを追いかけるマスコミは、別の事件が起こるやいなやロキシーには見向きもしなくなってしまった。ロキシーは無罪を勝ち取ったものの、もはや誰も注目してくれず、イケてないダンサーに逆戻り。そこへ現れたのは誰あろうヴァルマ。2人の殺人犯によるステージが始まった!
歌と踊りの多いこと多いこと。しかもそれらが全て華やかでカッコよくて、惚れ惚れしました。好きです、こういうの。
このあいだNHKのドキュメンタリーで1920年代くらいのアメリカを特集していたんですが、本作はまさにあれです。大衆文化、享楽、スキャンダリズム。リチャード・ギアは確かにかっこいいのですが、弁護士としては無茶苦茶。しかしビリーの言う通り、「それがシカゴ」なのです。
しかし、登場人物たちはそんな大衆社会をむしろ肯定的にとらえ、それを利用して少しでも高みに上ろうとしているんですから実にたくましい。弁護士のビリーが大衆を煙に巻いて法を無視させ、殺人犯も無罪にしてがっぽり稼げば、ロキシーとヴァルマは妊娠しているという嘘なんて朝飯前、法廷での演技もお手のもの。マスコミから見捨てられても、見せ場はこれからとばかりに殺人犯コンビを組んでステージに上るんですから、いやあ女ってタフだね、と感心してしまいました。はっきり言って自己中きわまりない2人ですが、あそこまで行くとあっぱれです。
上映時間がやや短いということもあるのですが、展開のテンポがすごくいいのでエンドロールまでがあっという間。最後まで飽きずに観ることができました。(2004年1月5日) <2002年/アメリカ/監督 ロブ・マーシャル/主演 レニー・ゼルウィガー>
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 United Red Army 地元のミニシアター「フォルツァ総曲輪」で仕事帰りに鑑賞しました。3日のあいだに同じ映画を2回劇場で見る、というのはおそらく初めてだと思います。なぜわざわざそんなことをしたかというと、人物が多すぎて1回ではよく分からなかったので、復習してもう一度見たのです。わざわざお金(2500円)を払ってそんなことをするくらいですからさぞ面白かったのだろうと思われるかもしれませんが、人に薦めたいかと聞かれると、あまり積極的に薦めたくはありません。暴力シーンが多いので。
以下、気付いたことを箇条書きで。
3時間を超える長尺ですが、最後までダレずに引き込まれます。
現代の20代半ば〜30代の若者たちが、30年前の20代の若者を演じているのを見るのはなんだか不思議な感じがしますが、このこと自体が「(現代でも、どこにでもいるであろう)普通の若者が過激派活動に身を投じていった」という事実を象徴的に語っているように思いました。活動が弾圧に遭い、それゆえに先鋭化し、そのためさらに弾圧が強くなり、さらに強力な武器を求めていくというスパイラルの中で行き詰まり、次第に目が血走っていく若者たちの姿が胸に突き刺さりました。小難しい新左翼用語(「革命」「闘争」「殲滅戦」など)満載の長台詞を立て板に水のように喋った若い俳優たちに拍手。
冒頭は群衆シーンから入り、徐々に個々のメンバーをクローズアップ。中盤の山岳ベース(特に榛名ベース)のシーンではメンバーの顔のアップが多くを占めます。つまりカメラがメンバーの目の高さからほとんど離れないので、観客が小屋の中に入ったような感覚に陥ります。それが小屋を捨てたあと、雪原の移動シーンでいきなり引いたショットが増えます。狭い小屋の中しか見えていなかったのが、突然視界が開ける感じです。ここで観客が我に返るというわけです。
長台詞が多いと書きましたが、実は彼らの語彙は多くありません。終盤に向かうにつれてそれが顕著になっていきます。山荘のシーンなんて語彙3つくらいで会話の9割ほど占めている気がするくらいです。これもまた、彼らが精神的・物理的に追い詰められていたことを表しているのでしょう。
私は1980年代生まれなので、事件当時の時代の空気というのは分かりませんが、私と同年代の人たちがここまで過激な事件を起こしたということには興味を抱かずにはいられません。本作はニュース映像も使いながら1960年以降の時代背景を過不足なく示しており、若者たちをを「革命」へと駆り立てた時代の空気を伝えています。何といっても若い俳優たちの熱演が光っている秀作。(2009年3月10日)
関連:
原田眞人監督「突入せよ!あさま山荘事件」
坂口弘「あさま山荘1972」
立花隆「中核VS革マル(上)」
<2008年/日本/監督 若松孝二/主演 坂井真紀>
ジャンヌ・ダルク The Messenger 初めて見たときは感動しましたが、2回目に見るとジャンヌのヒステリックぶりがやたらと目に付きます。絶叫しまくっているので、見ているとだんだんバカらしくなってしまいました。
主演のジョヴォヴィッチよりも、脇を固める役者の演技力が上です。個人的にはジョン・マルコヴィッチ演じるシャルル7世のダメ男っぷりが気に入りました。
ダスティン・ホフマンを使ってジャンヌの内面を描いたのはうまい方法。結局最後、ジャンヌは自分が狂信者だったと認めたわけですが…見終わったあと何かスッキリしません。うーん、なぜだろう。
やや長尺ですが、全体のテンポはダレることもなく、いいと思います。戦闘シーンも見応えあり(流血が苦手な人にはお勧めできませんが)。(2002年9月3日)
<1999年/フランス/監督 リュック・ベッソン/主演 ミラ・ジョヴォヴィッチ>
17歳のカルテ GIRL, INTERUPTED 主人公スザンナ(ウィノナ・ライダー)は境界性人格障害らしいけど、そんな感じがしなかったなあ。どう見ても普通の子です。ライダーよりも、アンジェリーナ・ジョリーのキレた演技のほうがインパクトがありました。ジョリー脚長い…。ジョリーはこの映画でアカデミー助演女優賞を取ったんだそうです。確かにジョリーの演技は良かった。良かったけど、あの程度で助演女優賞?ほかにいなかったのかと疑問に思いました。(2002年1月12日) <1999年/アメリカ/監督 ジェームズ・マンゴールド/主演 ウィノナ・ライダー>
十二人の怒れる男 12 ANGRY MEN 後掲の「十二人の怒れる男 評決の行方」のオリジナル版。主演の陪審8番を勤めるヘンリー・フォンダがいい味を出しています。先にリメイク版を見てしまっていたので展開も結末も全部知っていたのですが、陪審員同士のやり取りが緊迫感に満ちていて飽きさせません。
それもそのはず、田草川弘「ニュースキャスター」によれば、この作品はなんと生放送のテレビドラマなんだそうです。1950年代前半はアメリカのテレビ黄金時代と呼ばれますが、それを支えたのはエドワード・マローが看板キャスターを務める高水準の報道番組 "See It Now" と、優れた台本と俳優を集めて行う生放送ドラマという2つの流れ。そのドラマのひとつが本作だということです。最近では人気ドラマ "ER" が生放送を試みて見事成功し話題になりましたが、テレビが普及し始めて間もない時期にそういった試みをしていたというのは驚かされます。
リメイク版と違うのは、全員白人だということ。宮本倫好「世紀の評決」によれば、当時は「陪審団に参加するものは平均以上の知性・道徳性・清廉さを持つべきで、社会の師表となる人、という暗黙の了解があ」り、60年代後半になっても裁判所関係者の6割はそう考えていたということなので、陪審員を12人に絞る過程で黒人はその条件を満たさないとして振り落とされたのでしょう。今ではそんなことはありませんが。
陪審制のない日本人からすると「なぜ法律のプロでなく一般人に判断をゆだねるのか」と思いたくなりますが、まさにそこが陪審制の精神です。つまり、「一般人の常識的判断を、司法専門家の判断より上に置く」という考えが根底にあるのです。自分たちの社会の秩序は自分たちで管理するという精神が、同輩による裁判という形で現れているわけです。本作はその制度が理想的に機能する過程を描いた名作。(2004年6月6日) <1957年/アメリカ/監督 シドニー・ルメット/主演 ヘンリー・フォンダ>
十二人の怒れる男 評決の行方 12 ANGRY MEN 1人の生死を、12人が決める。条件は全員一致。誰が見ても被告人有罪の事件で、陪審員が評決を出すのに時間はかからないはずだった。しかし採決は有罪11、無罪1―。
冒頭とラストの場面以外は、陪審室で12人が議論しつづける場面が延々2時間近く続くのですが、これが面白くて飽きません。証言や証拠の細部を厳密に検討していくと、細かい部分での矛盾が次々と見つかります。議論が進んでいくうちに、有罪を主張する人は先入観や偏見にとらわれていることが分かってきます。
この辺を観ていて、南京事件の論争を想起してしまいました。「旧・日本軍だから行く先々で悪いことをしているはずだ」という思い込みで「虐殺あった」という証言を迷わず信じている人、いそうだなあ…。細部を検討すれば、おかしいところがいくらでもあるのに。
…ちょっと話が脱線しましたが、先入観や偏見で判断を下すことの危険性を思い知らされる映画。陪審員は言うまでもなく一般市民ですから、そういった思い込みを持っている可能性は十分にあります。しかし、本作では陪審員が論を戦わせた末に理性的な判断にたどり着いているのですから、要は陪審員がいかに思い込みを捨てて論理的に考えられるか、ということです。難しいことですが、日本でも裁判員制度が本当に導入されるのであれば他人事ではありません。
何度も出てくる言葉が「合理的な疑い reasonable doubt」。被告人無罪の評決を決定付けたのは、「被告人は無罪である」という確信ではなく、「被告人を有罪とすることには合理的な疑いがある」という判断でした。これって大切ですよね。無罪と判断する場合、無罪という確信がなければならないと思いがちです。が、立証責任ということを考えれば、有罪を主張する側が有罪を立証しなければならないのであり、無罪を主張する側はその立証がなされていないことを指摘するだけで十分なのです。無罪を主張する側が無罪の立証をする必要はないんですね。陪審制や裁判員制度について考えたいという人にはぜひ観てほしい作品です。
観終わってから知ったのですが、これってリメイク版なんですね。オリジナル版を近いうちに観てみようと思います。
(2004年1月5日) <1997年/アメリカ/監督 ウィリアム・フリードキン/主演 ジャック・レモン>
12人の優しい日本人 Gentle Twelve 陪審裁判の名作といえば「12人の怒れる男」。あの12人が日本人だったら、どうなる!?三谷幸喜と東京サンシャインボーイズが脚本を手がけた、日本版「12人の怒れる男」です。
筋書きは「怒れる男」とは異なっていて、単なるリメイクではありません。私は当初、「日本人は議論が下手だから陪審なんて無理!」という様子をコミカルに描いた映画かと思っていたのですが、そうではありません。最初こそ「なんとなく」「人を殺すような人には見えなかった」という漠然とした理由があがってきますが、話が進むにつれてひとりひとりが懸命になって議論し、最後にはひとつの結論にたどり着きます。
オリジナル版「怒れる男」ではヘンリー・フォンダ演じる陪審8号が一貫して理性的で、11人を説得していきます。それを観たことのある人には、本作でも相島一之演じる陪審2番がその役割を果たすように思われるでしょうが、最後の最後に「実は陪審2番こそが最も感情的な判断をしていた」という意外な落ちが用意されており、そうすることで人間の勝手さや弱さがオリジナル版よりもはっきり分かるようになっているのです。最初なかなか裁判の話に入らないのがちょっともどかしいですが、あとになればなるほど面白い。オリジナル版に匹敵します。(2005年12月8日) <1991年/日本/監督 中原俊/主演 塩見三省>
シュリ 面白かったけれど、銃撃シーンはもっと減らせたはず。水槽の向こうでキスする場面など、映像の美しさには注目です。この映画では水槽と魚が効果的に使われているんですよ。(2002年1月4日)
<1999年/韓国/監督 カン・ジェギュ/主演 ハン・ソッキュ>
ジョニー・イングリッシュ Johnny English いやもう爆笑です。ときおり先の展開が読めてしまうこともあるのですが、それでも実に抱腹絶倒でした。ローワン・アトキンソンのお馴染みの滑稽さに加え、そんな失敗だらけの上司を一生懸命補佐する部下ボフもいい味出してます。
そして本作で最も目がいったのは悪役のパスカル・ソバージュを演じるジョン・マルコヴィッチ。彼が話すフランス訛りの英語がこれまたベタベタなんですが、どこか掴みどころのない雰囲気のマルコヴィッチにこれをされるとなぜかかっこいいんです。これを見てマルコヴィッチに惚れるというのは本作の正しい楽しみ方ではないのかもしれませんが、少なくとも私は彼がかなり気に入りました。ソバージュにもっと出番を!と思ってしまいましたから。ジョン・マルコヴィッチ最高!(2003年11月2日)
<2003年/イギリス/監督 ピーター・ハウイット/主演 ローワン・アトキンソン>
真珠の耳飾りの少女 Girl With a Pearl Earring フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」が描かれたのにはこんな経緯があったのかもね…という、オランダ版「恋に落ちたシェイクスピア」。 映像が美しいと聞いていましたが、本当でした。柔らかい光、静謐、緊張感、どんよりと曇った空…すべてのカットが絵画のようです。主人公のグリートは純粋で、慎みを美徳とし、不器用で、触ったら壊れそうなくせに実はタフという魅力的な少女。ヨハンソンの演技が素敵です。 一番の見せ場はなんといっても、フェルメールがグリートの耳に自ら針で穴を開け、耳飾りをつけてあげる場面でしょう。この場面、性的な言動は全くないにも関わらず、どういうわけか実にエロティックなのです。実際、この場面(以下「耳飾り場面」)を2人のセックスと捉えると前後の場面とのつながりを上手く説明できてしまいます。この場面の前に、エロおやじのパトロンが処女のグリートをレイプしようとして「熟れたスモモは手つかずか?フェルメールも情けない奴だな」と言いますが、その直後にフェルメールがグリートの耳に針で穴を開け、傷口から血が流れます。針で「突く」そして「出血」、もうお分かりですね。これは処女膜が破れたことを意味し、フェルメールは「手つかず」だったグリートに手を付けたわけです。もちろん実際に処女膜が破れたわけはなく、観念的なセックスとでもいいましょうか。だからこそ、完成した絵を見たフェルメールの妻は、これが描かれた過程で夫とグリートが精神的に深い関係を築いてしまったことを直感的に悟り、絵を一目見て「淫らな!(It's obscene!)」と口走り、嫉妬に狂ってグリートを家から追い出したのです。また、耳飾り場面の直後、グリートは恋人ピーターのもとへ急ぎ、それまで彼に対しては慎み深い態度を崩さなかったのとは対照的に、自分から誘って今度は本当にセックスしてしまうのですが、これも耳飾り場面で「フェルメールに貞操を奪われた(少なくとも、奪われかけた)」とグリートが直感して、一刻も早く恋人に自分を抱かせなければという危機感を持ったと考えれば説明がつきます。 このほか、グリートが髪を下ろしているところをフェルメールに見られる場面があります。グリートはいつも頭巾を付けており、ピーターに「髪を見たいな」と言われても頭巾を取らず、フェルメールに頭巾が邪魔だから取れといわれても頑として応じなかったグリートが髪を下ろしているところは、観客も「見てはいけないものを見てしまった」という気分、もっと言うとグリートの裸を見てしまったような気分にさせられます。…などなど、深読みするのが楽しい映画です。(2004年11月17日)
付け足し。原作を読んだ上で再度鑑賞してみると、原作がかなり端折られているのが分かるのですが、原作のある映画が原作を完璧に再現することができないのは珍しいことではありません。ですから原作と比べるのではなく、映画それ自体で独立している作品として、原作と切り離して鑑賞するのが正しいと思います。2回目の鑑賞では、カタリーナのグリートへの嫉妬の激しさが印象的でした。(2005年6月4日)
<2002年/イギリス/監督 ピーター・ウェーバー/主演 スカーレット・ヨハンソン>
スウィングガールズ SWING GIRLS
山形のとある高校の生徒17人が、補習をサボる口実に始めたジャズバンド。楽器に触ったこともなかった彼らが、猛練習のすえ音楽祭で演奏を披露する。
筋立て自体は定番の青春ものといえますが、俳優のフレッシュ感と喜劇的な演出が成功してさわやかに仕上がっています。主人公の上野樹里も無垢な感じで好感が持てます。茶髪・細眉の女子高生と並んだときに、やや太眉・黒髪の上野が何と清純に見えることか。やっぱり制服姿に、茶色い髪やメイク顔は似合わないんです。…話はそれましたが、とにかくラストの演奏が素晴らしい。すべて本人たちの演奏だということなんですが、本当に上手いです。「頑張ったね!」と拍手したくなりました。
ジャズと関係ないところ(イノシシとの対決など)に笑いどころを作ったりしているせいなのか、スーパーの前で最初に演奏して「へたくそ」と言われてから次に上手な演奏を披露するまでがやたらと短かったように思います。見ている側としては「あれ?いつの間にこんなに上手くなったの?」と思ってしまうんですね。また、主人公が応募用のテープを送るのを忘れていたために出場できなくなるというエピソードがありますが、結局は出場できるのだろうということは観客には容易に予想がつくわけですからあまり意味のない演出でしたね。監督としては、出場の前にもう一波乱入れたかったのかもしれませんが、それなら雪で電車が止まって、会場まで歩いていく羽目になるという風にしてもよかったかもしれません。細かく見ていけば筋書きに無理のあるところは他にも見つかるのですが、ラストの演奏シーンがそれらを補って余りある力強さなので、あまり微に入り細を穿って難癖つけるのは野暮というものでしょう。
(2004年10月3日) <2004年/日本/監督 矢口史靖/主演 上野樹里>
スパイ・ゾルゲ Spy Sorge 泣きました!ラストに「イマジン」のインストゥルメンタル・バージョンが流れて、歌詞の日本語訳が字幕で出てきたんですが、もうそこでボロボロと。「想像してごらん、国境などないと。そこでは争いもなく、人々は平和に暮らしている。君は私を夢想者だと言うかもしれないけれど…」。これ、国際共産主義を世界の希望と信じて死んでいったゾルゲの心中を代弁しているように思えます。「スパイ」の三文字を冠することなしには語られることのない人物リヒャルト・ゾルゲですが、虚心で見てみれば、それは戦争の不条理な残虐性を憎む1人の人間。そんなゾルゲの生き様を丁寧に描いた作品だといえるでしょう。3時間という長尺でしたが、飽きることなく観ることができました。
俳優陣の豪華さも見逃せません。尾崎秀実に本木雅弘(やっぱりかっこいいです。英語を上手に話していて感心しました。尾崎は東京帝大卒のエリートなので当然と言えば当然ですが)、尾崎を取り調べた特高Tに上川隆也、ゾルゲを取り調べた検事の吉河光貞に椎名桔平(髪型と蝶ネクタイが可愛かったです。彼も英語が上手)。そして近衛文麿に榎木孝明(実物の近衛よりナイスガイ)、西園寺公望に大滝秀治(これはちょっと笑えました)、東条英機に竹中直人(こ、これは明らかにミスキャストでは…本人に謝らないと!)などなど。あと石原良純も2.26事件の中心になった青年将校の役で出てました。ゾルゲ役のイアン・グレンは二枚目すぎましたね。実物はもうちょっと悪人顔でしょ?「アドルフに告ぐ」(手塚治虫著)を読んだことのある方はそう思ったはず。そういえば、西園寺公一を演じていたのは「アリtoキリギリス」の小さい方だったんでしょうか。スタッフロール見逃しました。
それにしても戦前の取調べって怖すぎです。小林多喜二も死にますわ、そりゃ。(2003年7月29日) <2003年/日本/監督 篠田正浩/主演 イアン・グレン>
スペーストラベラーズ Space Travelers
筧利夫さんが出ているという理由で鑑賞。筧さんをはじめ、かなり「踊る大捜査線」と出演者が重なっているので、「踊る」ファンには嬉しい作品と言えるでしょう。コスモ銀行のキャラクターは「踊る大捜査線 THE MOVIE 2」に登場したキャラクター「湾岸太郎」くんにそっくりですし。
正直、ストーリーはあまりいいとは思えません。人質が犯人グループと意気投合して警察を混乱させるという展開はコミカルで楽しめるのですが、ラストか悲しすぎます。喜劇として終わらせてほしかったです。
当初の目的だった筧さんは素晴らしいです。「女なら誰でもお前よりはマシ!」と言ってカウンターをガンガン蹴ったのがツボでした。あとはやっぱり、「次は誰アルか?」。いったん「ホイ」を受け持つことを了承すると100%「ホイ」になるらしい。なんだかんだ言って深浦(役名)、こういうの好きなのでは…!と思ってしまいます。「踊る」の新城のような冷徹な役もかっこいいですが、こういうちょっと間が抜けた役も本当に上手です。筧さん大好きだよー!(2005年11月13日) <2000年/日本/監督 本広克行/主演 金城武>
青春の夢いまいづこ
若者たちの友情が生き生きと描かれた青春群像コメディ。ほのぼのとした笑いが随所に散りばめられていて、カンニングに熱意を燃やすところなんかはとても微笑ましい。終わりまで温かな雰囲気が保たれている癒し映画です。
ちなみに小津作品を見たのも、無声映画を見たのも初めてです。人物が喋っているあいだは声が聞こえず、声が聞こえるあいだは人物が見えないというものですが、慣れてしまえば逆にその遅さが心地よくなってくる、人もいるかもしれません。
「東京のとある大学」というナレーションのあとに出てきたのが大隈講堂(@早大)だったのには驚いてしまいました。それにしても、学生とはろくに勉強をしないというのは今に始まったことではないようです。(2004年3月3日) <1932年/日本/監督 小津安二郎/主演 江川宇礼雄>
西部戦線異状なし All Quiet On The Western Front 戦場で華々しく活躍することを夢見て入隊した、ドイツの少年兵たち。しかし、そんな幻想は入隊1日目で砕け散った。3日前まで郵便屋だったおじさんは、偉そうに威張り散らす軍曹。前線に出てみれば食糧不足のうえ、毎日誰かが死んでいく。死と隣り合わせの日々のなか、若い兵士たちは血眼になって生き延びようとする。
原作はドイツの作家・レマルク Erich Maria Remarque の同名の小説。1929年に発表されベストセラーになりましたが、その反戦的な内容のためにヒトラー政権下では焚書という災難に遭っています。
これを見たら誰だって厭戦気分になりますよ。人はバタバタ死ぬ、手はちぎれる、足は吹っ飛ぶ。いやはや。戦闘場面の悲惨さという点では「橋」に似ていると思います。本作のメッセージはバウマーの台詞「自分の命を犠牲にしてまで祖国のために戦う必要はない」に集約されていると思うんですが、これをどう考えるかは各人の価値観しだいでしょう。そして個々人の価値観がどうあれ、戦争で死んだ人間に対しては国家レベルで敬意を持って弔うということがあって然るべきだと私は思っています。一番いいのは戦争が起こらないことなんですけど。
ちょっと文句をつけるなら、時間の経過が把握しにくかったです。まず、主人公の学生たちが入隊して前線に出たのがいつのことなのか分かりません。中盤になってようやく「1917年9月」という台詞が出てくるのでその頃のことだと分かるのですが、その後、兵士の1人が休暇で帰宅したときにはなんと3年が経っていたりします。しかも地理的な説明も全くされませんが、その辺は原作ではちゃんと書かれていたのかもしれません。知っていることが前提という映画もありますからね。あとは登場人物の顔と名前が最後まで一致しませんでした。台詞が全て英語なのはお約束ということで大目に見ます。
冒頭の教室のシーンで少年たちが高揚して歌い始める歌が、映画「カサブランカ」のなかでシュトラッサー少佐たちが歌っていたものと同じでした。ドイツでは有名な歌なのでしょうか。ちょっと気になる。(2003年12月24日) <1930年/アメリカ/監督 ルイス・マイルストン/主演 ルー・エアーズ>
セブン・イヤーズ・イン・チベット Seven Years In Tibet オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラー(ブラッド・ピット)と、チベットの幼い宗教指導者ダライ・ラマ14世(ジャムヤン・ジャムツォ・ワンジュク)との友情を描いた物語。中華人民共和国の成立に伴い、毛沢東は根拠もなくチベットを自国の領土だと主張してチベットを侵略しはじめる。数百年間戦争もなく、軍隊の近代化が遅れていたチベットは人民解放軍にあっさり敗退。ハラーはダライ・ラマに亡命を勧めるが、ダライ・ラマは国民と共に祖国にとどまるとハラーに告げる…。
それにしても、ダライ・ラマ14世の可愛いこと!子供らしい無邪気さと同時に、悟りきった部分も持ち合わせているというすばらしい演技でした。私が選ぶ「かわいすぎる子役リスト」にまた1人追加ですv ちなみにこの映画、ダライ・ラマ14世本人の妹さんも出演。
「中国人を悪く描きすぎている」と言う人もいますが、それは的外れな批判というものです。本作が糾弾しようとしているのは何も中国人全員ではなく、あくまでも中国共産党。そしてチベット問題においては中国共産党は120%悪なんですから、この映画の中国人の描写はこれでいいのです。(2003年3月19日)
付け足し。作中ではチベット人がみんな英語を話していて不自然な感が否めませんが、これはブラピがチベット語を話せなかったためにこうなったと思われます。「ダライ・ラマ自伝」(文春文庫)の中でダライ・ラマ14世が述べているところによれば、実際のハインリヒ・ハラーはほぼ完璧にチベット口語を話せたそうです。念のため。(2003年10月25日)
<1996年/アメリカ/監督 ジャン・ジャック・アノー/主演 ブラッド・ピット>
関連:どくしょ遍歴 ダライ・ラマ14世「ダライ・ラマ自伝」 有本香「中国はチベットからパンダを盗んだ」
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